熊野本宮大社のお話は、もう少し続きます。
熊野古道・中辺路を歩き、ようやくたどり着いた熊野本宮大社の境内。あちこちに八咫烏の印を見つけて、ほっとひと息ついたあと、山を下りる途中に見えていた大鳥居へ向かいました。
参拝の記念に、という軽い気持ちでした。
けれど、その奥にあったのが大斎原(おおゆのはら)。本宮を出てからが、本当の始まりでした。
熊野本宮大社 大斎原とは?
大斎原は、熊野本宮大社が最初に鎮座していた旧社地です。
熊野川・音無川・岩田川という三本の川に囲まれた中州で、神が降り立った場所と伝えられてきました。
かつては社殿だけでなく、神楽殿や能舞台もあり、現在の約8倍もの広さを誇っていたそうです。
江戸時代までは橋がなく、参拝者は水に浸かりながら川を渡りました。それ自体が、身を清める行為でもありました。
「蟻の熊野詣で」——上皇から庶民まで、身分や性別を問わず、多くの人々がこの地をめざした光景が目に浮かびます。しかし1889年(明治22年)、大洪水によって大斎原は甚大な被害を受け、2年後、上四社は現在の場所へ遷されました。
熊野本宮大社から大鳥居〜大斎原への行き方は?
熊野本宮大社の本殿から大斎原までは、国道を渡って徒歩10分ほど。
途中、伊邪那美命の荒御魂を祀る産田社にお参りし、大鳥居へ向かうのが正式な参拝順とされています。「元あった場所だから」という理由以上に、自然と気持ちが大斎原へ引き寄せられていく感覚がありました。
2000年に建てられた大鳥居は、幅42メートル、高さ34メートル。その圧倒的な大きさのせいか、時間を遡るような、なかなか前に進まないような、不思議な感覚になります。
まわりを見渡すと、本宮から広がる田んぼの中を、同じように黙々と歩く人たちの姿。見上げた大鳥居にも八咫烏の姿があり、思わず写真を撮りました。
大斎原は撮影禁止?
鳥居をくぐり、奥へ進んだ途端、スマホのカメラが反応しなくなりました。
何度触っても画面は固まったまま。後になって、大斎原には撮影禁止の看板があったことを知ります。
写真を撮ることを諦め、そのまま歩きました。
目の前にあるのは、美しい緑色が続く広い土地です。ほかに人がいても、音が吸い込まれていくような静けさ。何もないのに、満ちている感じ。整えられすぎていない、自然のままの聖域が、そこに広がっていました。
ここは心身でまるごと、この気配を受け取る場所なのだと、腑に落ちました。
大斎原がパワースポットといわれる理由は?
大斎原の広々とした空間には、洪水で流失した中四社・下四社を祀る石造の小祠が建てられています。
中四社:
忍穂耳命(オシホノミミノミコト/天照大神の息子)
瓊々杵命(ニニギノミコト/天照大神の孫)
彦穂々出見命(ヒコホホデミノミコト/瓊々杵命の子)
鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト/彦穂々出見命の子、神武天皇の父)
下四社:
軻遇突智命(カグツチノミコト/炎の神)
埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト/土の神)
弥都波能売命(ミツハノメノミコト/水の神)
稚産霊命(ワカウミムスビノミコト/穀物の神)
八柱の神々と、本宮に遷された上四社の神々をあわせて、熊野十二社権現と呼ばれます。
あらためて見渡してみると、「天孫降臨」そのものが、ここにそろっていることに気づきます。
実際にそこに立つと、「かつての跡地」という言葉はしっくりきません。
洪水に流された聖地ではなく、今もなお、始まりの場所であり続けている。
そんなしなやかなパワーと、美しい気に満ちた空間でした。
大斎原 御祭神 忍穂耳命、瓊々杵命、彦穂々出見命、鵜葺草葺不合命 軻遇突智命、埴山姫命、弥都波能売命、稚産霊命 住所:和歌山県田辺市本宮町本宮 アクセス:JRきのくに線「紀伊田辺駅」からバスで約2時間10分 「大斎原前」バス停から徒歩で約3分

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